| ある妖精の話 [1] |
|
はっと目を覚ますと、まず淡い桃色の天井が見えた。 次に体中がふんわりと温かいベッドに包まれていることに気付く。 その独特の温かさは強い魅力を持っていて、中々出られないことがよくあった。 冬の日など毎日が温かさと自我との戦いだ。 待てよ……。ということは、俺はベッドの中にいる? 慌ててベッドから身を起こし、部屋の中を眺める。 ベッドの傍には木製の小さな机がある。 机の上には大きな葉っぱを上手く加工して作られた水差しだけが置かれている。 水差しを手にとって振ってみる。中身はほんの少しだけ入っている。 軽く辺りを見回してみるが、ベッドと机と水差し以外は家具という家具はない。 明るい色合いに塗られた木製のドアと、顔と同じぐらいの大きさの窓がそれぞれ1つだけある。 窓に顔を近づける。外にはなんて事のない村の風景がある。 空を見ると日は暮れている。そのためか人は全くいない。 とりあえず、外に出てみよう。 そう思ってドアノブに手をかける。 ドアノブを回そうとした瞬間、勝手にドアノブが回った。 これは、そう、向こう側に人がいてその人がドアノブを回したのだ。 誰かが来る? どんな人が来るのだろうかとか、ひょっとしたらこれは悪い夢なんじゃないかと思う暇もなくドアが開く。 「あれ、起きてた?」 次の瞬間俺が目にしたのは、まだ純粋さの残った顔をしている少年だ。 目が大きくて童顔で、短く切ったベージュの髪が自由奔放にあちこちに跳ねている。 少年は俺をぐいぐいとベッドの上まで押していき、俺はいつの間にかベッドの端に座らされていた。 「ほら、これでも食えよ」 少年は俺に葉っぱで包んだ何かを手渡す。 突然現れた見知らぬ少年から突然怪しいものを手渡されたので警戒する。 「開いた瞬間爆発したり腐臭が漂ったりはしないよな?」 「しないよ。何、俺を疑ってんの?」 「疑う。だって――」 言葉の先を飲み込んで、改めて少年の姿を見る。 とても信じられない。 ――だって、背中から妖精特有の羽が生えている。 どうして妖精と遭遇する羽目になったのだろうか。 記憶を遡る。 確か俺は新婚旅行で少し遠い所まで来て、森を見たいとせがむ彼女に連れられて森に来た。 彼女は森の中で見たこともない花や鳥にはしゃいで、俺は森の奥には何があるのだろうと少年のような好奇心に胸を躍らせた。 彼女はすぐに森に満足して帰ろうとしたが、俺は森の奥に行ってみた。 もちろん彼女はホテルに帰した。夜までには帰るつもりだった。 ところが、予想外に森は深くて広かった。 あっという間に道を見失って迷い、がむしゃらに辺りを歩き回った。 日の高さも頂点を過ぎて、これから日は沈むばかりだろう。 そう思ってさらに焦りさらに歩き回る。 朝から森を見に来たので昼飯は食べていない。腹の虫が鳴る。 空腹を我慢して歩き続けて――気付けばベッドの上にいた。 ここまで思い出して、顔をしかめる。 なんだ、肝心な所が分からないじゃないか。 「おっちゃん、食わねえの?」 少年の声ではっと我に変える。 「あ、ああ。食べる」 たどたどしい手つきで葉の包みを開ける。 開ける瞬間に爆発するんじゃないか思って、目を閉じながら一気に開ききった。 すると予想に反して爆発も腐臭もなかった。 塩だけの握り飯があるだけだ。 ぐうう、と腹の虫が鳴る。 途端に口の中が唾液で溢れ、礼儀作法もへったくれもない乱暴な食べ方で握り飯をあっという間に完食した。 「うまい」 手についた米粒を舐め取りながら呟く。 今まで食べた飯のどれよりも美味しかったんじゃないだろうか。 空腹は最高のスパイスというのも嘘ではない。 「へえ、そんなもんが美味いのか。俺には分かんねえな」 少年は服のポケットから小さな花を取り出し、器用にそこから蜜を吸う。 妖精は花の蜜しか吸わないというのも嘘ではないのだろうか。 「俺からしたら、花の蜜を吸うってやつの方が分かんねえな」 「その辺は種族の違い、ってやつだろうなー。俺は妖精でおっちゃんは人間だし」 やはりこいつは妖精か。羽も作り物じゃなくて天然か。 だが、妖精ということよりも引っかかる言葉がある。 「俺はおっちゃんと言える年齢なのか?」 「だって見た目が俺より年上だろ? だからおっちゃんだよ、おっちゃん」 「まさか26歳にしておっちゃんと呼ばれるとは思わなかった」 ショックだ。 「まぁ、年齢は俺のほうが上だけどねー」 「何歳だ?」 「30歳」 「……お前、30年も生きてまだガキなんだな。肉体的にも精神的にも」 精神的にも、を強調して嫌味たらしく言う。 だが少年は嫌味に反応することなく、きょとんとしている。 「30はまだ子供だよ、妖精の世界だと。だって大体200年ぐらい生きるんだから、そこから考えたら若造だろ?」 「そうか……。くそ、一本取られた」 妖精は200年生きるというのも嘘ではなかった。 俺が食べ終わると少年はすることがなくなったのか、暇そうに花弁をいじくっている。 肝心なことを言い忘れている、この少年は。 俺が話題を切り出さない限り、少年はそのうち何も話さないままここを出て行くんじゃないか。 「で、俺は何でこんなところにいるんだ? ここはどこなんだ?」 そういう危機感に迫られて、いきなり質問を繰り出す。 少年の花弁をいじくる手は止まり、じっと俺を見る。 澄んだ目は綺麗だ。 「おっちゃん、新婚さんだろ? 結婚指輪が真新しい」 少年は俺が左手の薬指にはめている結婚指輪を指差す。 新品独特の初々しい輝きがある。 「で、婿さんがここにいるって事は、近くにお嫁さんがいる。新妻ってのをたぶらかすのが俺の夢だったんだ。だから助けた。婿さんをダシにして新妻を口説きたいんだ」 「へー……。……って、待て待て待てぇ!!」 澄んだ目からは想像もできないようなふしだらな理由に思わず焦る。 新妻? たぶらかす? 数年前の俺が考えていた事と同じ事を考えている。まだ幼い少年が。 「だってー、妖精は結婚とかしないんだもん。俺にとって新妻とか裸にエプロンとか永遠の憧れだよ」 「裸にエプロン……どこからそんなアブナイ情報を手に入れたんだ!?」 というか裸にエプロンは俺も未だに憧れている! 「この辺ってけっこう深い森だろ。だから行き倒れの旅人とかよく見るんだ」 「……旅人の荷物からそういうものを拝借した、って事か?」 少年はにやりと笑って頷く。 最近の旅人はそんなものも持ち歩くのか。全くもって嘆かわしい。 「人間っていいよな。結婚なんて美味しいイベントがあるんだ。妖精なんて毎日が淡々としてるぜ?」 「世の中は結婚ばかりじゃないだろう。恋愛ができればそれで満足じゃないのか?」 「満足じゃないね。だってここの奴ら、口説くの簡単だもん」 「……口説いたのか」 「うん。簡単だぜ。ちょっと待ってて」 少年は余裕のある足取りでドアを開けて外に出て、数分後にまた戻ってきた。 戻ってきた彼の手には5、6本の花で構成された花束が握られている。 白い色の花が殆どで、1つだけ赤い色の花がある。 少年は俺の元に歩み寄り、片膝を立ててひざまずく。 そして花束を差し出して、 「この花束が世界中の女性だとすると、君はこの赤い花だよ。最高に目立って綺麗さ」 などと言いながら白い歯を見せて笑った。 「…………」 よくこんな事が言えるな、と無言で感心する。 少年は元の表情に戻って花束を机の上に置く。 「まあ、こんな感じでやれば一発だ」 「すごいな。尊敬する」 尊敬するが見習いたくない。 少年はそれから人間との恋愛についてとうとうと語っていた。 どうやら彼にとって種族を超えた恋愛が最高にドラマチックで面白いものらしい。 俺はそんな少年の演説を右から左へ聞き流しながら、どうやったらここがどこにあるのか、どうすれば戻れるのか聞き出せるのかと思案していた。 「で、周囲の大反対を押し切って結婚して甘い生活を――」 少年がここまで言った所で、こんこんとドアがノックされた。 「なんだよ、まだまだ話はこれからだったのに」 まだまだ話す気だったのか。恐ろしい奴だ。 少年は渋々ドアを開けた。 ドアの向こうには小柄な老人の妖精がいた。 幾重にも深く刻まれたしわは苦労や威厳を醸し出している。 しわは威厳に満ちているのに、目は少年と同じく澄んでいてどこか可愛らしい。 老人らしい少し黄ばんだ白髪をとても短く切り、口の周りには短いがひげがある。 「なんだよ、何か用かよ」 威厳のある老人に対しても少年は怯まず、俺に対する態度と同じ態度で接する。 老人はそんな少年の態度に顔をしかめることもなく、少年を無視して俺の傍まで歩み寄ってくる。 少年と同じような妖精の羽が生えている。綺麗だ。 「気分はどうですか?」 老人特有のしわがれた声で問いかけてくる。 「ええ、まあ、大丈夫……ですよ」 「それならよかった。貴方はこの村の近くで倒れていたのですよ」 「そうなんですか……。あの、どうすれば戻れますか? 妻が待ってるので、早く帰りたいんです」 彼女は心配性なので、早く帰らないと何を言い出すか分からない。 「妻がいるんですか。ならルクに案内してもらって帰るといいでしょう」 「えー、俺がぁ!?」 老人がそう言うと同時に少年が面倒くさそうに声をあげる。 少年はルクという名前なのか。 「貴方が彼を拾ったのだから、貴方が最後まで彼の面倒を見るべきですよ」 拾うとか面倒を見るとか、まるでペットのような扱われ方だ。 少しむっとするが、彼等を怒らせたら帰れなくなるかもしれないので我慢する。 「むー……分かった分かった、分かりましたー」 ルクは露骨に頬を膨らませて露骨に不満を込めたな口調で言う。 「帰るにしても、今日はもう遅い。ここに泊まっていきなさい」 老人はちらと窓の外を見る。 つられて窓の外を見る。真っ黒な空に満月が不自然なくらい光り輝いている。 耳を澄ますと獣の遠吠えのようなものが聞こえる。 確かに夜の森を歩くのは危険だ。 彼女は寂しがっているかもしれないが、我慢してもらおう。 老人が帰り、狭い家には俺とルクだけが残された。 「お前、家に帰らなくていいのか?」 素朴な疑問を口にする。 子供が夜遅くまで家に帰らないのは問題だろう。 「……ここが俺の家だよ」 「え、そうなのか」 ここがルクの家だと知り、改めて家の中を見渡す。 驚くほど何も無い殺風景な家だ。 「ずいぶんシンプルな家にお住まいのようで」 「皆こんなもんだぜ? 家は寝るためだけにあるようなもんだ」 そういえば、妖精は花の蜜と太陽の光で生きていると聞いた。 その2つを得ようと思えばずっと外で過ごしているだろう。 そう考えれば家は寝るためだけのもの、というのも分かる気がする。 「で、寝ようと思うんだけど、おっちゃんが邪魔で寝られない」 ルクが手で「どけよ」と言っている。 だが、ベッドで寝たいのは俺も同じだ。断固拒否する。 「行き倒れの哀れな新婚夫婦の片割れを床に寝かすのか。もっと妖精は心優しくて美しい生き物だと思っていた」 「それは誤解だ。俺みたいないやらしくて意地悪な妖精もたくさんいる。だから床で寝ろ」 「絶対嫌だね。心優しい妖精ならどいたかもしれないが、いやらしくて意地悪な妖精なら絶対どかない」 どく、どかないの口論はやがて互いの罵りあいに変わり、最終的に訳の分からない罵りまで飛び出した。 「そんなんだから妖精はいつまで経っても蜜依存症なんだよ!」 とか、 「人間はいつまでたってもエロ本ばっかりじゃねえか!」 とか。 俺は日頃から口論に慣れているので、最終的には俺がベッドで寝ることになった。 ベッドの上には毛布が2枚かけられていたので、そのうちの1枚をルクに与える。 ルクは渋々床に寝転んで毛布に包まった。 「ああもう、硬い床で寝るなんて史上最悪の経験」 「長い人生のうち、そんなこともあるさ」 俺は優越感に浸りながら毛布に包まる。柔らかくて温かい。 歩き回った疲労が残っていたのか、すぐに眠気が襲ってくる。 「おやすみ」 「おやすみ……せいぜい悪夢でも見ろ」 ルクの言葉は無視して、目を閉じる。 新婚旅行なのに1人で眠るなんて思ってもいなかった。 それは彼女にとっても同じことだろう。 明日の晩は、彼女とじっくりいちゃつこう。 そんな事を考えていると、にやにや笑いが自然に浮かんだ。 |
| →Next |