| ある道化師の話 [1] |
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――兄貴、本当に行くの? 後ろから声がする。 まだ幼さの残った声から、誰かはすぐに分かる。 ――人間を、見てくる。ここにはもう帰らない。 振り返らずに答える。 振り返れば、未練が残ってしまう。 ――置いてかないで。 鼻をすするような音も聞こえる。 ――アルノリドさんが面倒を見てくれるだろう。大丈夫だよ。 1歩、踏み出す。 ――行かないで。 ぎゅう、と服の裾をつかまれる。 心を鬼にして、掴んだ腕を振り払う。 ――じゃあ、元気でな。 引き離すように、駆け出す。 泣き声が聞こえる。耳を塞ぐ。 大切なものを捨てているのは、痛いほど分かっている。 けれど、人間を見たいんだ。 朝、目覚まし時計が律儀に同じ時間に騒ぎ始める。 重たい身体を動かして目覚まし時計を止め、それをきっかけに眠っていた体と頭を起こす。 窓を開けると清清しい風が髪を揺らす。 今日は、ずいぶん懐かしい夢を見た。 僕があの村を抜けた日のことだ。 あれから数年が経つ。 人間の町に住み、尖った耳を髪で隠し、自分が魔族であることを隠し続けてきた。 この町は誰に対してもオープンで、身元の知れない僕さえも快く受け入れてくれた。 空き家を借り、隣の住人と仲良くなり、働き口も得て、順調に生活は続いている。 顔を洗い、寝癖を直し、朝食を済ませた。 仕事の準備を終えて時計を見ると、まだ時間がある。 なので仕事道具と手品用具を持って外へ出た。 僕の家から公園までの距離は比較的近い。 公園には朝早くから2人の子供が遊んでいる。 彼らは意味もなくあちこちせわしなく駆け回っている。 僕は公園の隅っこで手品の準備を始める。 子供達は目ざとくそれに気付く。 ばたばたと騒がしく僕の傍まで駆け寄ってくる。 「手品? 手品すんのか?」 細目で快活な男の子が手品道具にべたべた触る。 彼の名前はニーノ。 だが彼は「伸ばすのまどろっこしいからニノって呼んで」と言っているので、ニノ。 「観客は2人だけかぁ、こりゃおひねりは期待できそうにない」 僕はわざとらしく肩をすくめ、準備を進める。 「……やるよ、ね?」 ニノの隣で期待に満ちた瞳を向けてくる内気な女の子は、ニノの妹だ。 名前はニコラ。けれども普段はニコと呼ばれている。 ニノとニコ。名前は似ているが性格は正反対。 そんな彼等が観客なら、手品もやりがいがある。 僕がこの町に越してきた頃からずっと、週に数回公園で手品をしている。 最初の手品から、ニノとニコは観客だった。 彼らは現れたり消えたり柄を変えたりする手品にいちいち新鮮な反応をしてくれる。 手品は時間が空いたときにするため不定期だったが、いつもニノとニコは最前列にいた。 そんなに長い間公園で遊び呆けていていいのか、と思って彼等にそう言ってみたことがある。 「遊び呆けてていいじゃんか。子供は遊ぶのが仕事なんだぞー」 とニノは返し、 「お母さんも、丸一日遊んでおいで、って言ってるもん」 とニコは母親を引っ張り出して反論した。 今日の手品は特に目新しいものもなく、飽きっぽい人からすると退屈なものだった。 が、ニノとニコは同じ内容でも何回でも喜んでくれる。 手品を終えて大げさに礼をすると、2人は拍手をしてくれた。 「はい、おひねり」 ニノが僕の手に小さなビー球を握らせる。 「おひねり」 ニコも僕の手にビー球を握らせる。 手品道具をしまい、公園を後にする。 ニノとニコが手を振る。手を振り返す。 人間は、いいな。改めてそう思う。 僕の仕事はある雑貨屋の店員だ。 その雑貨屋は町中の人に好かれていて、客がいない時間はない。 「おはようございまーす!」 店の中に入ると、すでに皆揃っていた。 皆、といっても2人だが。 「おはよう」 この店の店長、カーラ。 40代の女性で、その恰幅に見合った豪胆な性格をしている。 「おそよーう」 そして僕と同じ店員、エレナ。 本名はエレオノラと言うが、皆エレナと呼んでいる。 18歳の女性だが、童顔なのかそれよりも幼く見える。 彼女は僕の隣の家に住んでいて、この店に働かないかと持ち出してきたのは彼女の方だ。 それなのに、彼女は僕が自分より遅れると「おそよう」と嫌みたらしく言ってくる。 僕とエレナの仕事は、はっきり言うとかなり少ない。 店内を見回り、列が乱れている雑貨を元の位置に戻したり、客の質問に答えたりするだけだ。 それ以外の仕事は全てカーラが請け負っている。 これでは僕達があまりにも楽をしすぎているのではないか、と思いカーラにそう言ったことがある。 「店の中に若い人がいると、それだけで店が明るくなるでしょ。だからあんた達がいてくれるだけであたしは満足なんだよ」 と返された。 そういうものなのかな、と今でも少し疑問に思う。 日が暮れる頃に仕事は終わる。 店はカーラに任せ、僕とエレナは一緒に帰り道を歩く。 「今日もまた、手品をやってきたわけ?」 エレナは僕の顔を下から覗き込む。 「うん」 正直に頷く。 「ジョーカー君の手品は凄いもんねえ」 「当たり前だよー。ちっちゃい頃からずーっとやってきたんだから」 「この手品っ子め」 エレナが僕を軽く小突く。 「手品っ子で結構。そのうちシルクハットも買っちゃうもんね」 「うわあ……それはまた」 エレナは感心する素振りを見せる。 僕は見えないシルクハットをつまんでみせる。 シルクハットを買ったら、その中から鳩を出す手品でも練習しよう。 「なあ、ジョーカーって好きな人とかいんの?」 ニノの唐突な問いに、僕は少しの間体が固まった。 手品が終わって、おひねり(今回は野花だった)を貰った直後のことだ。 「いるように見える?」 「……エレナとか?」 ニコが独り言のように呟く。 反射的にエレナの笑顔が浮かぶ。 「まさか。ただのお隣さんだよ」 軽く頭を振る。 「たまたまお隣さんで、たまたま異性で、たまたま同年代なだけだよ。お互い、そういう気持ちはない」 同年代、といってもエレナの方が若干年上だが。 「えー……」 ニコは解せない、といった表情で首をかしげている。 「でも、俺にはさ、エレナはジョーカーのこと好いてるように見えるぞ」 「まさか」 エレナが僕を? 有り得ない。 「エレナにとって、僕はただの手品好きな後輩だよ」 「そうじゃないと、思うな」 ニコが楽しそうに微笑む。 「まったく……君達はそういう色恋沙汰が好きなの?」 「大好き」 「大好き」 同時に返事が来た。 最近の子供は、ませている。 雑貨屋の仕事が終わり、今日もエレナと一緒に帰る。 横目でエレナをちらちら見てみるが、僕を好いている素振りは無いように見える。 いつも通り、幼くも凛とした横顔だ。 「エレナ」 僕が呼ぶと、凛とした横顔はこちらを向く。 「もし……もしも、だよ?」 僕が魔族である証を隠している紫の髪を、軽くいじる。 「僕が、実は魔族だったらどうする?」 「ジョーカー君が魔族だったら?」 エレナは眉をひそめて僕の顔を見る。 「そうだなあ……」 視線を前に戻し、腕を組む。 どんな答えが返ってくるのだろう。 「……わからない、な」 「わからない?」 エレナは頷く。 「魔族は、嫌い。私の叔父さんも魔族に殺されたしね」 ずきり、心が痛む。 動物型の魔族は人間を殺すことをなんとも思っていないことが多い。 僕のような人型の魔族でも、そういうのはいる。 「でもね、ジョーカー君のことは好きなの」 どきり、心が弾む。 痛んだり弾んだり忙しい心臓だ。 ニノの言葉が脳裏をよぎるが、すぐにその期待を打ち消す。 こんなに自然に言える「好き」は、やはり友達としての「好き」だろう。 「もしジョーカー君が魔族だったら……好きと嫌い、どっちが勝つか分からない」 「そっか……」 僕はため息をつく。 そうか、分からないか。 エレナの家に着く。 「それじゃ、また明日」 エレナが手を振る。僕も手を振る。 「ね、エレナ」 「なに?」 僕は深く息を吸って、緊張を和らげる。 「僕も、エレナは好きだよ」 エレナは驚きの表情を見せる。 僕の心臓はやかましいぐらいに騒いでいる。 ただ、友達としての「好き」を言っただけなのに。 「ありがと」 エレナは恥ずかしそうにはにかんで、自宅のドアを開ける。 エレナの顔が赤いのは気のせいだろう。 ――俺にはさ、エレナはジョーカーのこと好いてるように見えるぞ。 ニノの言葉がまた脳裏をよぎる。 まさか。そんなことは、ないだろう。 |
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