| 英雄 [1] |
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僕には長い間悩んでいる問題がある。 僕はいったい、誰なんだろう。 思春期の少年少女が考えるような「誰」ではなく、本当に僕は自分が何者なのか分からない。気がついたら何処だか分からない荒野の真ん中にいて、それ以前の記憶は全く無かった。自分の外見から推測できる年齢からすると、自分の名前や幼い頃の記憶はあるはずなのに、無かった。 とにかくいろんなところを歩いてみれば、記憶が戻るかもしれないと考えて、その日から今まで色々な星をさまよってきた。 けれども記憶が戻りそうな手がかりは何も無かった。 分かったことといえば、僕は外見は人間に似ているけれど、寿命は人間のそれよりもはるかに長いこと。何百年も生きているのに、年を取る気配が全く無い。 人間ではないことをその星の住民にばらしたら、気味悪がられたり追い出されたりすることはいくつかの星を巡って分かった。 だから、この星にやってきたときも僕は自分が人間ではないことを隠し通すつもりでいた。 町の灯りが遠くに見える森の中、程よく木が密集していて人目につきにくい場所にワープスターをつけた。この、星に着陸する瞬間が一番緊張する。以前この瞬間を原住民に目撃されたことがあって、銃弾とミサイルの雨の中を必死に逃げた。今でもその記憶は苦々しい味と共に思い出せる。 ゆっくりと、静かにワープスターを降りて星の大地を踏みしめる。緩やかに風が吹いて、頭上の木や足元の草がざわめいた。空を見上げると夜空の中に星がちらちらと瞬いている。辺りに人の気配はなく、平和で清涼な空気が辺りに満ちている。 ワープスターを抱え、心の中で呪文を念じる。するとワープスターは一瞬のうちに手のひらに納まるほどの小ささになり、僕はそれをポケットの中にしまった。 このワープスターというものも、僕自身よく知らない。どういう経緯で手に入ったのか、何故乗り方を教わった覚えもないのに乗りこなせるのか。恐らく、失われた記憶の中にワープスターのこともたくさんあるのだろう。 森の中を歩いた。こうしてワープスターに乗らずに歩いていれば、一目見て異星人だとばれることはない。服装の違いを怪訝に思われることはあるだろうが、遠いところから来たとか言っておけば大丈夫。 町の灯りを目指して歩き続け、もう少しで森を抜けようかというところで、強い風が吹いた。 ――緑のにおいにまぎれて、肉が焼けるにおいがした。 僕は歩みを止めて、においがした方向へ目を向けた。鬱蒼とした木々の隙間から、家の灯りのようなものがかすかに見えた。 こんな町の外れに家があるとは思えない。蛍のような、光る生き物がそこにいるのだろう。肉のにおいは恐らく錯覚だ。徒労に終わるのは目に見えている、無視して町へ向かうべきじゃないか。 僕の心の冷静な部分はそう言っていたが、僕はそれに反してその灯りに足を向けた。 急いでいるわけじゃないのだから、少し寄り道したっていいじゃないか。 まるでつたで構成されているように見える家だった。 家の輪郭から、相当大きい洋館であることが推察できるが、その外壁の殆どがつたでびっしりと覆われていた。つたの色は夜に溶け込んで、家はまるで巨大な黒い生き物のように見える。 つたの塊の中でただ一箇所、一階の窓の一部分だけがつたの侵食を受けずに内側の明かりを外側に漏らしていた。周囲のつたの流れを考えるとその部分だけつたがないのは不自然だ。意図的につたを切り取っているのだろう。誰が? 中にいる人が。 肉の焼けるにおいも家の中からした。加えて野菜スープの素朴な香りも漂っている。今日はまだ晩御飯を食べていないことを思い出して、腹がぐるぐる鳴った。 窓の前に立った。 磨りガラスの窓のため中の様子ははっきりと見えないが、人影のようなものが一つ見えた。 ――少し、分けてもらえないだろうか。 飾り気のない料理の匂いは、長旅で疲れた僕の体が求めているものに近い。できれば、というか、是非、この奥にある料理を食べてみたい。 いきなりやってきて料理をくれというのは少し図々しいかな、と思いつつも窓をノックした。 窓の向こうから姿を現したのは、一人の男だった。金の髪を一つに括り、長い前髪は右目を覆い隠している。身なりはきちんとしていて、とてもこの家に住んでいるとは思えない。 「……どなたですか?」 男のそう問う声は静かで、また眼鏡の奥に潜む瞳も静かに僕を見ていた。 「遠くからやって来た者です。少しでいいので、食べ物を分けてください」 「この森を南に抜けたところに、町があるでしょう。そちらに行ってごらんなさい」 男はじろじろと僕の顔や体を見回した。不審に思っているのだろう。 「それは分かっています。……しかし、僕はここの料理が食べたいのです」 男の背後、部屋の中に小さな肉と少しのスープが見えた。温かそうな湯気を立てている。 男はその視線に気付き、ちらと今しがた食べようとしていた晩御飯に目を向けた。 「…………」 晩御飯と僕とを見比べて、 「いいでしょう。上がってください」 と、部屋の奥へ引っ込んだ。僕は少し迷ったけれど、男の言葉に従って部屋に上がった。 窓から部屋に入るなんてことは初めてだった。 昔は豪華極まる家だったのだろうな、と思える部屋だった。 天上からぶら下がるシャンデリア、部屋の片隅に置かれているタンス、料理が乗っているテーブル、床に敷かれた絨毯、そのどれもが相当古びているものの、高級なものの威厳というのを辛うじて保っていた。 「少なくて申し訳ないのですが」 男が料理を片手に部屋に戻ってきた。小さな鶏肉と、細切れになった野菜が入ったスープ。とても豪華とは言えないが、それでも僕にとっては最高の料理に見える。 男と一緒に料理を食べた。ほんの数分で二人とも食べ終わった。 「ごちそうさまです」 僕は男に心からの感謝の気持ちをこめて頭を下げた。量は少なかったけれども、その素朴な味と温かさは僕の心を満たした。 「これぐらい、いいですよ」 男は食器をまとめてテーブルの隅に置き、先程よりずっとリラックスした様子でテーブルの上に長い指を組んだ。真っ白な手袋のおかげでその仕草がとても上品に見える。 もう用事は済んだのだから、この家を出てもいいのだろうかと少し迷った。これ以上夜が更けると、町に行くと不審者扱いされる恐れがあるから、もう出るべきなのだろう。 けれども僕は家を出なかった。何故なら、この男に興味があったからだ。 「あの、図々しいお願いで悪いのですが」 僕が話を切り出すと、男は指を組んだまま軽く首をかしげた。 「実は今夜、泊まる宿が見つかっていないのです。もしよろしければ、泊めて頂けませんか?」 「ここに、ですか?」 頷く。 男は少しの間宙に目をやっていたが、すぐに僕に視線を戻し、微笑んだ。 「今日は新月じゃないですし、いいですよ」 「新月?」 「あ、いえ、こちらの話です。気にしないで下さい」 男は席を立ち、タンスの中をがたがたと探った。 「空き部屋はたくさんあるので、好きなところで泊まってください」 タンスの中から古びた毛布を取り出し、僕に手渡してきた。毛布を受け取った瞬間、なんともいえない古いにおいが鼻をついた。 「ありがとうございます。……あの、お名前は?」 男は目の前にいる正体不明の少年に自分の名前を話していいのか迷っている風だったが、 「……トート、です」 ぽつりと名を明かした。 トートと名乗った男はこの広い洋館に一人で住んでいるようだった。洋館は全く手入れがされておらず、先程の部屋以外の場所の多くは埃にまみれている。これだけ広いと掃除をするのも一苦労だと思うが、もう少し努力をしてもいいのではないかと思えるぐらい、埃がふてぶてしくのさばっている。 僕は食事をした部屋の隣の空き部屋を借りることにした。そこは昔は客用の寝室だったのだろうなと思える部屋で、今は数歩歩くだけで埃が舞い上がって視界が白くにごる。 埃を吸わないように気をつけながらベッドまで歩き、ベッドのふちに腰掛けた。ベッドの上にたまっていた埃が一斉に舞い上がり、僕は思わず咳き込んだ。 「ひどい部屋」 手で口を押さえながら、ベッドの周りの埃を払い、とりあえず眠れる程度の清潔さを確保した。 寝転んで、古い毛布をかぶった。決して良い寝心地とは言えそうにないが、それでも不思議と嫌じゃなかった。 うつらうつらしていると、ふと疑問がよぎった。近くに町があるのに、彼は何故こんな所に住んでいるのだろう。 つたに覆われたぼろぼろの洋館。そこに住む謎の男。まるでどこかのサスペンスみたいだ。 「明日、聞いてみよう」 そう呟いて、目を閉じた。 「私が何故ここに住んでいるか、ですか?」 朝、昨日の晩と同じスープを飲みながらトートは鸚鵡返しに聞いた。僕が頷くと、トートは複雑な表情で少し黙った。 先の割れたスプーンとお皿が触れる音、スープをすする音だけがしばらく響いた。 「……町に行って、それとなくこの洋館の事を聞いてごらんなさい。それで分かるはずです」 「トートさんからは、言えないことなんですか?」 彼は頷いた。 「正確には、言いたくないことですがね。……ああ、そうだ。町に行ったら、私と会ったことは決して人に漏らさないように」 「なんで?」 思わず敬語が抜けてしまったが、トートは気にせずに苦笑を浮かべながら頭を掻いた。 「私はそういう存在なんですよ」 スープを飲み終えてひと段落がついた頃、トートの洋館を出た。 「また来てもいいですか?」 「ええ、いつでもどうぞ。良いもてなしはできませんが」 軽く手を振って、歩き出した。トートは手を振って見送ってくれた。 洋館が見えなくなって、森を抜けた辺りで気がついた。 「……あ、名前」 そういえば僕の名前を名乗っていなかった。トートの名前を聞いておいて自分は名乗らないのは失礼だったかな。でも僕に名前なんてものはなくて、もし聞かれていたら困っていたのだけれど。 今度会いに行ったときにでも名前がないことを明かしてみようかと思った。今まで会った人達の誰よりも、トートは信頼できそうな感じがしたからだ。何を言っても受け入れてくれそうな、そんな感じ。 目指す町が目と鼻の先にあった。 「さて、いい人達だと嬉しいな」 期待と緊張をこめて、僕は町に足を踏み入れた。 結論から言うと、町の人達はいい人達だった。 突然の来訪者に驚きながらも、喜んで迎えてくれた。名前を聞かれたが、記憶喪失であることを知られたくないので適当に偽名を使った。 「長旅でお疲れでしょう。迎賓館でゆっくり休んでください」 と、にこやかな笑顔で接してきたのはこの町の長と名乗る壮年の男だった。表面上は優しそうだが、内面はしたたかで計算高い、そんなイメージを抱いた。 彼の案内で訪れたのは、トートの屋敷ほどではないものの大きな屋敷だった。ただし大きさ以外では全てにおいてトートの屋敷に勝っていた。丁寧に手入れのされた庭やきらりと光る窓、優雅に揺れるカーテン、それらがいかにお金と時間をかけられているかを物語っている。 「すごい家ですね」 素直な感想を言うと、町長は満足そうにうんうんと頷いた。 「そうでしょうそうでしょう。何十年もかけて建てたものですからね、私が」 町長は最後の「私が」を強調した。 「こんなところに泊めてもらっていいんですか?」 僕が遠慮がちにそう切り出すと、町長は一瞬だけ顔をしかめた。「誰がここに泊まっていいと言った」とその一瞬の表情が言っていた。 「え? ああ、ちゃんと説明してませんでしたね。これは私の家。迎賓館は横にあるそれです」 町長が指差した先を見ると、とても小さな小屋のような家がそこにあった。そこそこ手入れはされているものの、町長の屋敷と比べると随分ずさんな扱いを受けているように見える。迎賓館という名前に負けている。 町長に断りを入れてから、迎賓館の中を覗いてみる。中はそこそこの広さとそこそこの綺麗さが保たれていたものの、迎賓館というには少しみすぼらしいような雰囲気だった。 しかし泊まれるだけでもましだろう。町長に向かって深々と頭を下げた。 「では、この部屋でゆっくり休ませていただきます。ありがとうございます」 ごゆっくりどうぞ、と町長は言い残して自宅に入っていった。 迎賓館にいてもすることもないので、僕はすぐに迎賓館を出て町に出た。 トートがあんなところに住む理由を町長から聞いていなかったので、町の人に聞いてみることにした。 「え? 森にある洋館?」 商店街で適当な店の主人を捕まえて質問をぶつけてみると、その人は少し嫌そうな顔をした。 「何でそんなことを聞くんだい」 「いや、この町に来る途中で見かけたものですから、気になって」 ううーん、と店の主人はうなっていたものの、 「……あの洋館は呪われているんだ」 と話し始めた。 「呪われてる?」 僕が店の主人にそう聞き返すと同時に、どこからか町の人たちが集まってきた。何処の町にも噂話が好きな暇人はいるものだ。 「何の話だい」 「あたしも混ぜて」 「呪いとか、面白そうじゃないか」 あっという間に井戸端会議が始まり、彼らの話を聞くと、森の洋館についての話はこうだった。 数十年前、洋館にはある貴族が住んでいた。彼らは貴族らしく金と時間を持て余し、退屈をしのぐためなら大金を惜しみなく注いでいた。 その大金は町の人々から搾取し、町の人々は次第に飢えていった。 ある新月の日の深夜、町の青年達が団結し、各々鍬や鉈を武器に貴族を滅ぼそうと洋館に押し入った。意外なほどあっけなく、貴族達を殺すことが出来た。青年達は部屋を一つ一つしらみつぶしに探し、ある一部屋に入った。 ――そこには、黒く大きな爪と牙を持つ化物の姿があった。 青年達はすぐに逃げ出した。しかし化物の足は速く、あっというまに青年達を爪と牙で殺してしまった。たった一人、臆病者で最後尾にいた男だけが命からがら化物から逃げることに成功した。 彼の話では、その化物は人に近い姿をしていたが、両の手は人外のものであり、また駆ける足音も獣のそれに近かったという。深夜だから詳しい外見は分からなかったが、その話は町の人々を大いに恐怖に震わせた。 それからというものの、新月の夜になると洋館から化物の声が聞こえるようになった。何年経っても、何十年経っても、新月の夜になると声が聞こえた。 あの洋館は化物に呪われている。 貴族による貧困は消えたが、化物による得体の知れない恐怖が町の底に漂った。 それは今でも続いており、化物は今も洋館の中で新たな獲物が訪れるのを待っている。 化物、というのは恐らくトートのことだろう。「私と会ったことは決して人に漏らさないように」と言った理由が分かった。確かに、化物と会って来ましたという得体の知れない人を町に迎えるわけには行かないだろう。 この話が真実だとすると、トートは何十年もあそこに住み続けていることになる。トートの外見年齢を考えると、それは人間としては凄く不自然なことだ。 トートも、人間ではない存在なのだろうか。 不思議なことに、僕は心の底からトートに仲間意識を感じた。 |
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